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開会式14日前の1月24日、オリンピックボランティアとしての本格的な業務を開始するため白馬入りする。松本から通うのは大変なので、親戚が住んでいる大町市から車で片道30分かけて通うことになった。
まずは、大会前日にオープンするクロスカントリー会場のプレスセンター(SPC)の立ち上げ準備から始める。 電話や机などの器材や備品はそろっているが、実際に仕事ができるように細かいセッティングが必要だ。
プレスセンター内に案内班の仕事場は2個所あった。一階にある事務室と二階の共用ワーキングルームの一角にあるインフォメーションカウンターである。しかし、この時、案内班で現地入りしていたのは、私たったひとりだけ。
他のメンバーが来始めるまでの5日間は、一人で準備しなければならない。実にさみしいスタートだ。でも、そんな感傷に浸っている余裕がないほど、目の前にやるべき仕事が山ほどあった。
まず、机の配置を決めたり備品の整理から始める。そして、300席に及ぶ共用ワーキングルーム(報道関係者が仕事をするエリア)内に、英語と日本語で案内する張り紙を作成したり、大量の書類を分類するためのファイルを整理したりする。
しかし、こうした作業をしている間もマスコミから様々な問い合わせの電話があるため、その都度対応しなければならず、実質的な準備はいっこうに進まない状態だった。少なくとも、SPCがオープンするまでは、報道関係者への対応業務はないと考えていただけに、スタート当初から忙しくなってしまった。
1月28日、待ちに待った副班長のHさんが白馬入りする。この時は、さすがにうれしかった。あまりの忙しさで、外国人報道関係者向けの翻訳や通訳業務の準備がほとんど手につかない状態だったからだ。
さっそく、Hさんには、英語を使った仕事を始めてもらう。
1月31日、初めての休日。 ボランティアは基本的に週休2日なのだが、メンバーの勤務日程は班長である私が決めていたため、自分自身はあまり休みを取れずにいた。
この日は業務に必要な情報収集をするため、ジャンプ会場の案内班長であるTさんと共に、休みを兼ねて長野市にあるメインプレスセンター(MPC)を訪れた。Tさんとは大会前から、互いの会場の準備状況や案内業務について情報交換をしていた仲だ。
MPCに入場する時にまず驚いたのは、金属探知機で危険物のチェックをしていたことだ。SPCでは考えられない警備である。まず、入場するための許可証を発行してもらい、荷物を預けてゲートをくぐる。しかし、ブザーが鳴った。携帯電話や上着など預けて試してもるが、また鳴ってしまった。何度かチェックした後、ようやく入ることができたのだが、想像以上に厳重な警備で驚いてしまった。それぐらい、メインプレスセンターではテロ対策に力を入れているのだろう。
前に一度、MPCに見学に来たことはあったが、今回はかなり雰囲気が違っていた。まだ準備中のSPCとは違い、全てがすでに稼動していたからだ。
しかも、毎日24時間休むことがない。SPCとは、比べものにならないほど多くの人が忙しく動いていた。
そのおかげで、我々にとっては参考になることが多かった。各SPCでも、MPCと同じサービスができるように、各掲示板の見出しの書き方や配置方法、インフォメーションカウンターの動きなどを、一つひとつチェックする。MPCとSPCで対応方法が違ってしまうと、両方の施設を行き来する報道関係者に混乱が生じる原因になりかねないからだ。
この休日を利用したMPC視察は、その後のSPC運営に大いに役に立ったことはいうまでもない。
一方、クロスカントリー会場のSPCでは、マスコミからの問い合わせが日に日に増えていった。選手を始め、大会関係者やボランティアへの取材申し込みは、一日5件を超えることも珍しくなかった。
大会6日前の2月1日、TV局の生中継がスノーハープで行われたことがあった。
元ノルディック複合金メダリストで、選手村副村長である河野孝典さんがゲストとして出演する番組だ。私はこの中継に向け、一週間前から番組スタッフと打ち合わせをしていた。もちろん専門過ぎて分からないことも多く、
不手際もあったかも知れないが、普段の生活では見ることのないTVの裏側に直接関わることができたことは貴重な経験だった。
2月2日、クロスカントリー会場の競技リハーサルが始まった。
もちろんSPCでも、リハーサルに合わせて着々と準備が進んでいるはずだった。しかし、オープン4日前だというのに、現地入りしている案内班のメンバーはたった3人だけ。しかも私とHさんはマスコミからの取材対応に忙しく、その他の準備がいっこうに進んでいない状態だった。
正直、この時点でここまで忙しくなるとは予想しておらず、とにかくみんなに早く来て欲しいだけだった。
開会式前日の2月6日、いよいよSPCオープンである。
入り口にかかっている「Closed」の看板を裏返して、「Open」にする。果たしてどれくらいの人が来るのだろうか? かなり期待していたのだが、競技がないということもありほとんど人は集まらなかった。かなり気合が入っていただけに、ちょっと拍子抜けだ。
しかし、すぐにこの静けさも喧騒の戦場に様変わりすることだろう。
案内班のメンバーも8人に増え、これでようやく本格的な業務を始めることができる。 ただ、私とHさんはあいかわらずマスコミ対応に忙しくて、一人ひとりに細かく仕事のやり方を教えてあげられる状態ではなかった。昼食もゆっくり食べている時間がないくらい忙しいのだ。
みんなには、実際に仕事をしながら体で覚えていってもらうしかないが、すでに忙しく動いている現場の雰囲気に圧倒されしまい、仕事がうまく進まない場面も多かった。
全てが初めての経験なのだから仕方のないことだが、私自身かなり忙しい状態にいたので、一人ひとりに親切に教えてあげることができないのが辛かった。
そういう時は、「もっと早くから来てくれていれば・・」と思うのだが、皆それぞれ自分の貴重な時間を裂いてボランティアに参加してきてくれているのだから、今はとにかくがんばってもらうしかない。
そしてついに明日、開会式となった。
ちょっと前まで、長野オリンピックなんてまだまだ先のことだと感じていたのに、いつの間にかこの日がやってきてしまった。もう後戻りするわけにはいかない。やるしかないのだ。
しかし、この記念すべき開会式が、私にとって最悪の日になろうとは思ってもいなかった。
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