2月 February 2002
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1月31日その1 開会式まであと8日 

長野五輪から4年、シドニーから1年半が経とうとしている。そして今、自分にとって3度目のオリンピックとなるソルトレークへ向け旅立つ時が来た。
松本から高速バスで新宿へ行き、そこからリムジンバスで成田空港に向かうのだが、今回は少し様子が違う。出発前にラジオ番組に出演することになっているのだ。私の地元でも放送されているJFN系列の「ヒルサイドアベニュー」。全国に放送されるだけあって、ちょっと緊張気味。でも、オリンピックを目前にしてテンションもあがってきたところなので、タイミングとしてはちょうどいいのかも知れない。
ディレクターさんレポーターさんと喫茶店で打ち合わせをしてからいざ本番へ・・・人々が通りを行き交う西新宿の寒空の下で、レポーターさんの妙にハイテンションなトークに引っ張られてなんとかがんばってみた・・・・あっ、という間にコーナーが終了。自分の言いたいことが、果たしてどのくらい聴いてるみなさんに伝わったか分からないけど、無事に終わってよかったよかった。このHPの宣伝もしてもらったし、これで心おきなく旅立てる。
取材終了後、成田空港行きのバスに飛び乗り、第一旅客ターミナルへ。そして、17:00発のユナイテッド航空で一路サンフランシスコへと旅立つ。飛行機に乗るのは慣れているはずなのに、離陸するときはなんだか緊張する。これもテロによる心理的影響なのだろうか・・・それでも、アメリカ行きの機内は満員状態。「これじゃ、寝られそうにないなぁ」と狭いエコノミーシートにもたれながら、これから始まる新しいボランティアストーリーに胸を膨らませるのであった。Zzz....

成田空港を17:00に出発するサンフランシスコ行きユナイテッド838便

1月31日その2 開会式まであと8日 

サンフランシスコ空港に、現地時間8:30に到着。まだ1月31日。まるでタイムスリップしたような気分だ。予想していた通り、ほとんど寝ることができなかった。それは、席が満員で身動きが取れなかったせいなのか、それとも機内で放映していた「猿の惑星」のせいだろうか?こんなことなら日本で見ておくべきだった・・・
サンフランシスコで入国審査を行い税関カウンターへ。ここで一つアドバイス!ボランティア活動は、現地で収入を得るわけではないため労働ビザは必要ないのだが、係員に滞在理由を聞かれたときは、迷わず「Sightseeing(観光)」と伝えよう。私もこの手で入管審査を通り抜けたのだが、その先の税関で「ソルトレークには何しに?」と聞かれ、思わず「Volunteer Work」と言ってしまった。そしたら、相手に真意を理解してもらえず、荷物検査をされる羽目に・・・ソルトレーク行きの旅行者には特に神経を使っているようだ。
結局、持っていた自分の名刺や組織委員会から受け取った資料を見せて納得してもらった。「私はアメリカ人を助けるためにここに来たんだ」と言ったら、「そうだったのか。感謝してるよ。」と苦笑い。話には聞いていたが、アメリカ国内はセキュリティチェックが相当厳しいことが分かった。ソルトレークに着くまでに、2度も靴を脱いで検査されたくらい。
そして、現地時間の12:50、再びユナイテッドに乗り込み、超厳戒態勢が敷かれているソルトレークシティへと向かう。


搭乗者の厳重なセキュリティチェックを行うサンフランシスコ空港

1月31日その3 開会式まであと8日 

サンフランシスコ空港から1時間ほど東に飛ぶと、真っ白に覆われた広大な大地が見えてくる。山岳地帯であるユタ州に近づいている証拠だ。ソルトレークシティ空港に降りるため、飛行機の高度がだんだん下がってくると、なんか見慣れた光景が窓の外に広がっている・・高い山に囲まれた盆地・・・それはまさに、数時間前に旅立ったばかりの松本の景色にそっくりだ。姉妹都市の提携を結んでいるだけあって、似ている部分があるとは想像していたが、これほどまでとは・・・急に親近感が沸いてきた。「ここでなら、がんばっていけそうだ」
無事、ソルトレーク空港に着陸。到着ロビーに、これから約3週間泊めてもらう家のホストファミリーが迎えに来てくれることになっている。私の名前を書いたサインを持って待っていてくれるというので、探しながらロビーを進むと・・・あったあった!日本の旗がついた手作りの看板に、私の名前と日本語で「ようこそ」の文字が!迎えに来てくれたのは、ホストマザーであるミリアンさんと、彼女の息子のダン君とジョーイ君。向こうも私のことがすぐに分かったようで、声をかけてくれた。うれしいねぇ。
空港から彼らの車でダウンタウンへと向かう。途中、お父さんのロバートさんを仕事場で乗せて一緒に帰るためだ。ソルトレーク市内へ進んでいくと、たしかTVで見た光景が・・・ビル全体をオリンピックアスリートの絵で飾りつけた巨大な壁画だ。ソルトレーク五輪の特徴的なパフォーマンスの一つでもある。その壁画ビルのオフィスで働いているロバートさんを乗せてみんなで夕食を食べに行く。アメリカといったらやっぱりピザ。でも、今まで見たことのないくらいのビックなピザに改めて自分がアメリカに来たことを実感する。夕食をご馳走になりながら、みんなと話しているうちにすぐに打ち解けてしまった。それは、ピザの大きさに負けないくらいソルトレークの人たちの暖かさと心の広さを感じた瞬間でもあった。これから3週間、彼らとの共同生活が始まる。


ソルトレークシティに入ると、ビルに描かれた巨大な壁画が目に飛び込んでくる

2月1日 開会式まであと7日 

ソルトレークに着いて始めての朝を迎えた。昨日、ホストファミリーと夜遅くまで話して興奮していたのか、時差ボケのせいなのかほとんど眠ることができなかった。抜けるような青空の下、眠い目をこすりながらボブ(ロバートさん)と一緒にバスに乗ってソルトレーク市内へ向かう。彼が働いているオフィス(フィギュアスケートの壁画が描かれている)で一旦別れ、一人でダウンタウンを散策する。
街の中心部となっているテンプルスクエアは、白い城のようなテンプル(神殿)や巨大会議場などから形成されるキリスト教(モルモン教)の総本山である。中でも、神聖な場所とされるテンプルは、白い天然石で装飾が施された美しい建物で思わず目を奪われてしまう。街全体は、このテンプルスクエアを中心に碁盤の目になっていて、そこからE100N300のように番地が割り当てられている。それに、ダウンタウン自体がとてもコンパクトなので、常に神殿を基点にして考えれば、道を覚えるのは意外と簡単である。
ボブが働いている教会の事務局で待ち合わせて、彼の同僚のブラッドと共に車で昼食を食べに行く。ブラッドは宣教師として九州に2年ほど住んでいた経験があり、日本語もベラベラだ。SUBWAYでサンドウィッチをほお張りながら、今後の予定について話し合う。日本語で話すとボブが中にに入れなくなってしまうので、会話はほとんど英語である。
そして、ブラッドが知っているという日本食料品店に連れていってもらう。日本食レストランも兼ねたお店で、ラーメンから梅干、味噌までなんでも揃っている。おまけに、日本のTV番組を録画したビデオも貸し出している。その辺のシステムは、シドニーの日本食品店とまったく同じでとても興味深い。ソルトレークは、日本人が少ないと聞いていたので、日本食が手に入るのはなんともうれしい限りだ。少し値は張るが、日本から自分で持ってくることを考えれば割安なので、思わずたくさん買ってしまった。その中でも極めつけは納豆。「やっぱり、過酷な業務に絶えるには、良質のたんぱく質が必要だよなー」と考えつつ、「日本食をあまり試したことがないボブに食べさせて反応を見たいなっ」というイタズラな気持ちを抱きながら、買い物カゴに入れるのであった。これこそ、文化の交流(笑)どうなることやら今から楽しみである。

ソルトレークシティの中心部となっているテンプルスクエア

2月2日 開会式まであと6日 

オリンピックの運営スタッフになくてはならないものは、ユニフォームとアクレディテーションカード(ADカード)である。大会期間中は、組織委員会の職員もボランティアも全く同じユニフォームを着るので、選手や観戦している人たちにとっては、みんな同じ大会関係者に見えるだろう。つまり、この2つを身につけている間は、ボランティアといえども自分の行動や発言には気をつけなければならないということになる。
ADカードは言うなれば、身分証明書のようなものだ。我々運営スタッフだけでなく、選手や役員などオリンピックの会場や施設内に出入りする人間は、組織委員会により発行されたこのカードを身につけなければ、一切中に入ることができない。しかも、自分が必要とする会場や施設以外は、立ち入ることができないようになっている。もちろん、IOC会長であってもADカードがないとどこにも行けない。顔パスは効かないのである。
我々ボランティアのユニフォームやADカードは、ソルトレーク空港の近くにあるTeam2002 Proccessing Center(TCP)という所で発給している。簡単な研修ビデオを見た後、決められた順路を通って、まずADカードの発行を受ける。もちろん発給には、本人であることを証明するパスポートなどの書類が必要だ。コンピュータに接続されたデジカメで顔写真を撮ると、5分ほどでラミネートされたADカードができあがる。工程はごく簡単なのだが、全体で約35000人というボランティアが日に日に訪れるので、順番が来るまで1時間以上はかかる長い列ができる。なにしろ、PCが3台しかないのだ・・・シドニーの時は、確か5台はあったような・・・
ADカードを受け取ったら、次はユニフォームである。試着をしてサイズを確かめてから、倉庫に山積みになっているアイテムを一つずつもらう。ジャケット、フリース、パンツ、帽子、手袋、バックパックなどなど、いろんなパーツがかかえきれないほどたくさんだ。また、色も担当する業務によって、青や緑、黄色などに分かれている。ユニフォームは、ボランティアにとって業務に必要なだけでなく、唯一記念に残る品物でもある。 私の場合はラッキーなことに、これで長野、シドニー、ソルトレークと3種類のユニフォームが揃ったことになる。これを機に、オリンピックボランティア博物館でも開こうかなぁ(笑)・・・

ボランティアにとって命の次に大切な!?ユニフォーム(左がソルトレーク、右が長野五輪)

2月3日 開会式まであと5日 

今日は日曜日。ホームステイしている家族について近くの教会へ行く。私自身はバリバリの仏教徒なのだが、ソルトレークの人たちの生活を知るためにはぜひ訪れておきたい場所である。元々、ソルトレーク周辺はモルモン教の人たちが開拓した土地であり、教会は数ブロックごとにあるというくらい地域に密着した存在となっている。となり近所の人たちが集まって賛美歌を歌ったり、悩みのある人の話を聞いたりして、宗教的な儀式というよりも、地域の人たちと交流したり助け合ったりするための機会となっている感じだ。また、19歳になると宣教師として2年間、アメリカ国内だけでなく世界中に出向かなければならない。その間の費用は自己負担するボランティアなので、言うなれば修行のようなものである。この辺のコミュニティからも、15名の若者が宣教師として家を離れて暮らしており、残された家族は心配しながら彼らを応援しているのである。 日本には失われつつある家族や隣人との絆をとても大切にしているようだ。 そういうバックグラウンドもあって、オリンピックのボランティアに参加したり、外国から訪れた人たちを暖かく迎えたりするのが当たり前という雰囲気が生まれているのだろう。
私に対しても非常にみんな親切にしてくれる。長野から来たということもあるかも知れないが、ほとんどが白人の社会である土地で、日本から来た人間がすぐに受け入れられるというのは珍しいケースではないだろうか。特に、私が滞在しているボブさん一家は本当に優しくしてくれる素敵な家族だ。もちろん部屋代は払っているのだが、それ以上にいろんな面倒を見てくれる。ボブは車でスーパーや観光地に連れて行ってくれるし、奥さんのミリアンは私を友達や近所の人たちに紹介してくれる。2人の子供(ダンとジョーイ)も率先して助けてくれるので、私自身とても居心地がいい。日本に発つまでは、正直こっちでうまくやっていけるか心配だったが、これほど早く仲良くなれるとは思っていなかった。
今日の午後、もう一人の滞在者であるシンシアがシアトルから到着。細かく編み上げた髪が印象的なファンキーな黒人女性だ。彼女も私と同じ男子アルペン会場のコースクルーが担当の業務、心強いパートナーの登場である。これからは、一つ屋根の下この6人で一緒に過ごしながら、いよいよボランティアとしての活動が始まる。何が待ちうけているのか楽しみである。

オリンピック期間限定の家族(右からボブ、シンシア、ミリアン、ダン、ジョーイ、私)

2月4日 開会式まであと4日 

同じ業務を担当するシンシアと共に、アルペン会場のあるスノーベーシンスキーエリアに向かう。今日は、ユタ州以外から来るボランティアのために会場&業務研修があるのだ。シアトルから来たシンシアが借りているレンタカーに乗せてもらい、スターバックスコーヒーやイチローの話で盛り上がりながら、シャトルバスの乗り場へ到着。会場周辺には十分な駐車場がないため、ここから会場まではスタッフ用バスを利用する。競技の整備はすでに始まっているらしく、スキーを持ったスタッフもたくさん乗っている。
バスに揺られてワインディングロードを進んでいくと、目の前に雪に覆われた大きな山が見えてくる。男女滑降、スーパー大回転、複合競技が行われるスノーベーシン会場だ。バスを降りると入場ゲートでセキュリティチェックを受ける。身につけている金属物を一旦預けて、空港にあるような金属探知のゲートを通過するのだが、私は長野やシドニーで何度も経験していたせいかブザーが鳴らず一発でOK。荷物のチェックも問題ないということで、チェックインカウンターで受付を済ませた後、研修が行わているスタッフワーミングテントへ向かう。
シンシアと私は、競技運営のコースクルーという業務を担当する。私はチームNo13で彼女はNo14である。チームごとに別れたテーブルに向かうとそこには2人のボランティアが・・・"Are you on the Team13?"話し掛けると、"That's right!"と返事が返ってくる。やった!この瞬間からジェフとTKがチームメイトとなった。ジェフはボーイング社で働いていて、日本の宇宙開発事業団の仕事を手伝っているという。H-2ロケットや種子島を知っていて驚いてしまった。TKことTAKESHIは、名前の通り見た目も日本人で日本語もペラペラ。それもそのはず、彼は日本で生まれアメリカで育った日系アメリカ人なのだ。なんという偶然なのだろう?今まで日本人らしきボランティアを見かけなかったから、この驚きとうれしさは半端じゃない!通常の生活で使う英語なら問題ないのだが、競技の運営に必要な英語は全く自信がなかったので、彼が同じチームにいてくれることがどれだけ心強いことか。今まで不安に感じていたことが、一気に吹き飛んでしまった。
研修の後は、コースクルー業務で使用するスキー板とブーツを借りに行く。本来は自分で持参しなければならないが、日本から持っていくのは大変なので、現地で借りることになった。そのことを先日ホストマザーであるミリアンに相談したら、なんと無料で借りられるようにスキーショップに話をしてくれた。なんて優しいんだろう。ユニフォームを受け取り、チームメイトも見つかり、スキーも手に入れて、いよいよ明日から始まるボランティア業務に胸を膨らませるのであった。

研修を受けるためユタ州外から集まった競技運営ボランティアたち

2月5日 開会式まであと3日 

ボランティア業務初日。朝3時に起きて簡単な朝食を済ませ、シンシアとともにシャトルバス乗り場へ向かう。さすがに外はまだ真っ暗、夜空には星がきらめいている。とにかく寒い。スタッフ駐車場には、すでにたくさんのボランティアがバスを待つために並んでいて、照明に照らされたバス乗り場周辺は、スタッフたちの話し声と吐く白い息が暗闇に吸い込まれていく。寒さで凍えそうな中、20分ほど待ちバスに乗り込む。スノーベーシン会場に着くと例のごとくセキュリティゲートを通過する。今日はかなり長い列ができているので、中に入るには時間がかかりそうだ。スタッフチェックインを済ませランチを受け取り、競技運営スタッフの待ち合わせ場所となっているワーミングテントへ向かう。テント内はボランティアたちで溢れ返っていて、コースクルーのテーブルにはすでに何人かのチームメイトが座っている・・・さっそくチームリーダーであるジムと挨拶を交わし、業務ミーティングが始まった。 今日は業務初日ということで、それほど忙しいスケジュールではないようだ。
7時過ぎにテントを出発し、スキーをはいてスタッフ専用の4人乗りリフトで山頂へ。雪に覆われた斜面を進んでいくと、岩山が剥き出しになったピークが目の前に見えてくる。"What a beautiful view!"一緒に乗ったチームメンバーたちと驚きながらリフトを下車すると、いきなりスコップを手渡される。これが、我々コースクルーが使う道具だ。プラスチック製の大きなスコップをストック代わりにして、パウダースノーのゲレンデを滑っていく。「始めての海外スキーが体験できてラッキー」と思ったのもつかの間、ものすごい斜面が現れて思わず腰が引ける。それもそのはず、ここは世界でもトップレベルの傾斜を持つオリンピック男子滑降コースなのだ。聞いた話では、スタート後とゴール前の斜面は70度らしい。 もちろん、ほとんどの斜面はもっと緩やかなのだが、慣れないレンタルスキーをはいてスコップでバランスを取りながら急な斜面を滑るというのはなかなか難しい。前の人に遅れないようについていくのが精一杯で、景色を見ている余裕などない。そんな感じで滑っているうちに、バランスをくずして転倒。「やばい!」と思いながらすぐにリカバリーしようと試みたが、斜面が急でなかなか止まらない。ようやく体勢を立て直して止まったが、全身雪まみれ。広いコースでこけたので、誰にも接触しなかったしスコップも離さなかったので大きなトラブルにはならずに済んだが、ひやっとした瞬間だった。
コースの途中まで来ると、スキーとバックパックを置いてさっそく作業開始。我々コースクルーは、コースの整備や管理が主な仕事である。コース沿いにすでに張られているセーフティネットの裏側に通路を作るため、スコップでかいて雪をどかすといった肉体を使う作業である。この辺のスキー場は世界でも有数のパウダースノーらしく、その名の通り粉のようにさらさら乾いた雪なので、スコップもサクッと入るし全然重くない。みんなで手分けしながら雪を動かして、ネット裏に通路を作っていく。今日は初日ということでそれほど忙しいわけではないため、休みながら作業を続ける。ここは標高が高いため、がんばりすぎて酸欠になってもいけない。自分のペースを守ることが大切である。
作業が一段落し、雪面に座って早めのランチを取る。冷え切ったサンドウィッチをほお張りながら、他のチームの仕事ぶりを観察していると、スキーを脱いで急な斜面をスコップで整地していた女性が、バランスをくずして滑り出してしまった・・・コースは平らに整地してあるので、一旦滑り出したら誰にも止めることができない。あっという間に、斜面の向こうに見えなくなってしまった・・・あまりに信じられない光景に思わずみんなで笑ってしまったが、本人にしたみたら生きたここちはしないだろう。幸い下側に誰もいなかったのでよかったが、スコップやバッグなども一度滑り出したら止まらない。自分は気をつけていても、上から人や物が落ちてくるかもしれないのだ。我々の仕事は、常に危険と隣合わせであることを思い知った初日となった。


駐車場からシャトルバスに乗って、スノーベーシン会場へ向かう。

2月6日 開会式まであと2日 

今日はコースの最終テストのため整備作業もほとんどなくのんびりした一日となった。こんな日は、きっとこれが最後だろうと思いながら昼過ぎには解散。今夜は6時から開会式のドレスリハーサルがあり、ボランティア全員が組織委員会に観客として招待されているのだ。ドレスリハーサルというのは、ショーや入場行進など本番と全く形で行われる最終リハーサルのこと。つまり、聖火の点火方法以外は、開会式の内容がほとんど分かってしまうのである。これは、長野、シドニー大会でも行われている恒例行事で、ボランティアを激励する意味と、数万人のボランティアを観客に見たててシャトルバスの運行や混雑状況などをチェックする目的もある。
ボブ、ミリアン、シンシアと共に4時に家を出発し、途中の駐車場でシャトルバスの乗り換えてスタジアムに向かう。スタジアムの入り口で降ろされると、そこには入場を待つ長蛇の列が・・・入場ゲートでのセキュリティチェックの順番を待っているのだ。1時間以上待ってようやく順番がくるが、そこではスノーベーシン会場のセキュリティチェックに比べ物にならないくらい厳しい検査が行われている。やはり、大勢の観客が集まって世界中が注目するオープニングセレモニーは、最もテロの標的になりやすいのだろう。アメリカが今置かれている状況と安全を確保するためにできたこの長い行列には、誰も文句は言えないだろう。
結局、家を出発して3時間かかって開始10分前に着席。場内はものすごい人だかりである。私の席は、聖火台の反対側の下から7番目。もし、チケットを買っていたとしたら、かなり値の張る席である。唸るような巨大な歓声の中、ドレスリハーサルが始まる。開会式の詳細については秘密を守ることになっているので書くことはできないが、巨大なスケートリンクを使って地元のユタ州を表現した神秘的なショーに仕上がっている。さすがエンタテイメント大国のアメリカ。みんなの期待を裏切らないだろう。ただ大変だったのは、夜の屋外のスタジアムでとにかく寒かったことだ。
素晴らしいセレモニーが終了した後、ものすごい人ごみの中、シンシアと共に帰りのシャトルバス乗り場へと向かう。しかし、目的地へ向かうバス停が全く見当たらない。観客案内のボランティアや警官に聞いても誰も分からない。スタジアムを囲むように目的地別に数多くのバス停があるため、案内するスタッフもまだ慣れていないのだ。錯綜する情報を元にあちこちグルグル回っているうちに、ようやく目的のバス乗り場に到着。最終便に乗って、ついにボブたちと待ち合わせている駐車場に着き、家に帰ることができたのは深夜0時だった。ふぅー、疲れたぁ。ちなみに、明日の仕事は、4時起きである(悲)


開会式ドレスリハーサルが終了し、シャトルバス乗り場へ向かう観客たち

2月7日 開会式まであと1日 

昨日の開会式リハーサルで3時間しか寝られず、重いまぶたをこすりながらスノーベーシン会場へ向かう。
凍えるような真っ暗な中ようやくワーミングテントに着くと、ボランティアたちの明るい笑顔が飛び込んでくる。まだオリンピックは始まっていないけど、このアルペン会場競技運営ボランティアのテントは、日に日に暑くなってきている感じだ。私もがんばらないと。
出発準備を済ませ、チームメンバーと共にリフト乗り場へ向かう。そこでスキーを履こうとしたらトラブルが発生。先日レンタルスキーショップで交換してもらったスキーのビンディングが何度やってもブーツにちゃんとはまらないのだ。リーダーのジムに相談したところ、とりあえず私だけ残してチームは先にリフトで上がることに・・・スタート早々いきなり取り残されてしまった。板を交換してから滑るのは今日が始めてなので、このような事態に陥ってしまったのだった。店がオープンするのは、数時間後のため近くにいたスタッフの力を借りて何度か試したところ、手でビンディングをはめればとりあえず大丈夫なことが分かった。さっそく、チームと合流するためリフトに乗って頂上へ・・・でも辺りはまだ真っ暗。凍えそうな夜空の下リフトに揺られながら、果たして巨大な滑降コースで400名近くいるコースクルーの中で自分の仲間を見つけることができるだろうか?一気に眠気が覚めてしまった。 幸いなことにチーム13は、リフト降り場で待機していため、すぐに見つけることができたが、まだまだ慣れないコースでどうなることか不安でしかたなかった。
今日は、公式トレーニングの日。実際に各チームのコーチや選手がコースの下見をしたり、本番を想定した形で実際に滑ってみる練習日である。目の前を選手が通りすぎていく中、スコップ片手に除雪作業が続く。コース上の余分な雪を滑り台を使ってネットの外側に出すのである。斜面の状況によって、スキーをはいたり脱いだりして作業を行う。どちらかというと、エッジの効くスキーの方が安全だが、長くて重い板をはきながらの作業はかなり大変である。10時前になってコース上から撤退し、公式トレーニングを見守る。普通の観客が入れないようなコース沿いから見る一流レーサーたちの滑りは、テレビとは比べものにならないくらい迫力がある。
練習とはいえ、恐ろしいくらいものすごい勢いで滑り降りていくのだが、そのうちの一人の選手が旗門に接触して転倒しそのまま目の前のネットに衝突。動かなくなってしまった。救急隊が出動しそりで運ばれていった。後で聞いた話だが、どうやら足を骨折したらしい。今までテレビでは見たことがあったが、実際に目のあたりにすると信じがたい光景だった。
我々の行っている作業は、雪かきなど単純なものばかりだが選手の命や体を守る大事な仕事でもある。選手と同じコースに立ち、選手のためにコース整備をする。レースが無事に終わるのも、素晴らしいタイムが出るのも、すべて我々の手にかかっているのだということを実感した一日だった。


急な斜面でスキーをはきながらの作業はかなり大変だ

2月8日 ソルトレークオリンピック開幕 

ついにソルトレークオリンピックが開幕。ホストファミリーと一緒にテレビで開会式を観ながら、これから始まる17日間の熱いドラマに胸を躍らせる。これは同時に、華やかな舞台で活躍する選手たちの影で、大会を円滑に運営するために活動している我々ボランティアたちのドラマでもある。近年のオリンピックでは、ボランティアの活躍なしに大会の成功を語ることはできないだろう。
セレモニーの最初に行われたアメリカ国旗の掲揚は、昨年9月11日に起きたテロ事件の被害者を追悼し、このオリンピックを通じてアメリカの復興と世界の平和を誓っているように感じた。私も、ボランティアとして大会の運営を手伝うことで、テロによって傷ついてしまったアメリカの人たちの心に少しでも希望を与えることができればと思う。そして、スポーツという人類共通のコミュニケーション手段を通じて、世界中からテロや戦争というものがなくなってしいくことを願いたい。それこそが、スポーツの祭典オリンピックの理念であり、世界が一つになる数少ないイベントなのだから。
私はこうして、長野、シドニーに続き、世界の歴史に残るであろうソルトレークオリンピックにボランティアとして参加することができた。とてもラッキーだと思う。よくみんなに「2004年のアテネはどうするの?」なんて聞かれるけど、先のことなんて自分にも分からない。今はただ、目の前にある目標に向かって突き進むだけである。


アメリカと世界の平和を願って、ソルトレークオリンピックが開幕

2月9日 競技日目

昨日は悪天候でトレーニングが中止となったため、今日が男子滑降2回目の公式練習となった。昨日除雪しきれなかった雪を除雪するため、リフトを経由して頂上にあるスタートハウスまでロープウェイで登る。標高2831mにあるこの小屋は、スノーベーシンの山の峰にあるため、反対側にある街やグレートソルトレークが一望できる。まるで雪山登山をしているような眺めだ。ここから、最高傾斜70度というスタートゲート下のコースを整備するのだが、急な上に凍っているので立っているたけで精一杯だ。そんな中、後から降りてきたチームの一人が足を滑らして転倒し、そのまま下にいたメンバーに激突。一緒に数十メートル滑り落ちてしてしまった。ものすごい勢いがついているので、はいているスキー板や持っているスコップがおそろしい凶器に変身する。このような状況下ではよけることもできないのでどうすることもできない、できるとすれば持っているスコップで足を防御することぐらいだ。自分が転倒して誰かに危害を与えないようにするのと同時に、誰かが落ちて来たりスコップや荷物が滑り落ちてこないか、常に上側に注意を払っていなければならない。
結局今日は、日が落ちてくるまでリフトを3回乗ってコース整備し、くたくたになるくらい疲れてしまった。今後は、だんだん疲れがたまって集中力が落ちてくるため、これから日を追うごとに気をつけなければならないだろう。アルペン競技のコース整備は、まさに冬山登山のように過酷である。


スノーベーシンアルペン会場のフィニッシュエリアと観客スタンド

2月10日 競技2日目

いよいよスノーベーシンアルペン会場での最初の競技、男子滑降が行われる。いつものように、朝3時過ぎに起きて会場へと向かう。昨夜は久しぶりにぐっすり寝ることができたので体の調子がいい。普段は疲れた顔をしているボランティアたちの表情も今日は明るく感じる。この日のために今まで準備してきたのだから、エキサイティングな気持ちになるのも無理はない。
10時競技スタートに向けて、コース上の余分な雪をかいたり踏み固めたりして、最終的な仕上げを行っていく。その間、選手たちが続々とレース直前のインスペクションにコースを訪れ、その様子を見ているだけで我々もだんだん緊張が高まってくる。今日は雲一つない素晴らしい天気。コースの整備も完璧に近く、素晴らしいレースが期待できそうだ。
スタート地点標高2831m、ゴール地点1948m、標高差883m、滑走距離2860m、22500人収容可能な観客スタンドが満席状態でレースがスタート。我々チーム13は、スタートゲートから4つ目の旗門のネット裏で待機する。スタート地点70度という信じられない傾斜をレーサーたちが滑り降りてくる。選手が転倒しないことを祈りながら見守るわけだが、競技中、コースクルーの大事な役目の一つに応援がある。観客はゴール地点のスタンドしかいないので、コース沿いでの応援は我々の担当だ。テレビの中継で、カウベルを鳴らしたり叫んだりしているのは、実は競技運営スタッフなのである。アメリカ、日本など国籍は関係なく、全ての選手が全ての旗門を通過して無事にゴールできることを願って応援する。我々にとっては、誰が金メダルを取るかというよりも、コースがなんの問題もなく、レースが順調に進んでくれることが最も重要なのである。その中で、素晴らしい記録が生まれればもう言うことはない。


男子滑降を皮切りに我々アルペン会場の競技がスタートした

2月11日 競技3日目

今日は女子滑降の競技日。同じアルペン競技であっても使用するコースやスケジュールが異なるため、男子女子それぞれ競技運営スタッフが別れている。コースの整備を担当する我々コースクルーも、40チームぐらいの編成で300名以上が男女コースにそれぞれ配置されている。コース全長男子3.02km(通称グリズリー)女子3.14km(通称ワイルドフラワー)を、毎日最高のコンディションに保つためには、やはりこれぐらいの人手が必要なのだろう。
スコップなどで除雪作業を行うコースクルー以外にも、コースを整備したり管理する業務はいくつかある。選手が滑走してできた雪を横滑りしながら除雪する”スリッパー”や、各エリアの整備作業を管理する"セクションクルー"など、3kmという長いコースを管理していくには組織化された運営が必要だ。常に、競技運営本部と無線で連絡を取っているセクションクルーの指示に従いながら、リフト降り場から目的の場所まで移動する。といっても、ただ滑り降りればいいわけではなく、コース上に余分な段差を作らないようにターンを少なくして横滑りを中心に降りなければならない。選手が滑走する斜面はカチコチに凍らせてアイスバーンになっているため、エッジが鋭いスキーでないと立っていることさえままならない。目的地に着くまでに、何度も横滑りを繰り返してコース上に残っている余分な雪をネット際まで運んでいくことも仕事の一つなのである。
そして、ようやく担当するエリアまで着くと、スキーを外してスコップ片手に除雪作業にあたる。横滑りによってネット脇に寄せられた雪をかき集めて、除雪機や滑り台を使ってネットの外に放り出す。ここで気をつけなければならないのは、スキーをはいていないため足元が滑りやすいということだ。場合によっては、コースの中央まで歩いていく必要があるため、気を緩めると滑り落ちていってしまう。一旦滑り出すと、スキーを履いていないため止めることができない。ネットに衝突するならまだいいが、下にいる他のクルーにぶつかると怪我をさせてしまう。手に持っているスコップもまた危険なのである。そのため、経験者の中にはスキーブーツに装着するアイゼンを持参する人もいる。もちろん、私は持っていないので自分のバランス感覚だけが頼りだ。
このような感じで、テレビの映らないところで、多くのボランティアたちのある意味命がけのコース整備が行われている。今日も青空の下、順調に整備が行われたのだが、スタート地点が強風のため、予定されていた男子複合トレーニングも女子滑降レースともに中止となってしまった。我々の懸命な努力も、天候によっては一瞬にして無駄になってしまうのである。


スコップやトンボを使って、コース上の余分な雪をネット際まで運ぶ

2月12日 競技4日目

今日も強風のため女子滑降の開始時間がどんどん遅れていったが、結局12時過ぎに競技をスタートすることができた。女子のコース整備は我々の担当ではないが、男子コースと隣接していて抜け道として滑ることもあるのでまったく関係がないわけではない。ちなみに、女子のコースの方が男子より少し長い。
女子滑降が終わると、男子複合の公式トレーニング。両コースはゴール地点を共有しているので、同時にレースを進めることはできない。トレーニングが終わりコースの手直しをして4時に解散。
今日はこれからシンシアと共に表彰式を観にダウンタウンへと向かう。長野五輪の時と同様、屋外競技の表彰式は街の中心部に設置されたメダルプラザで行われるのだ。幻想的なショーの後ステージの幕が開くと、中には巨大なソルトレーク五輪のエンブレムに聖火が燃えている。とても感動的な演出の中、今日メダルセレモニーが行われるのは、女子滑降、男子モーグル、男女クロスカントリー、そして男子スピードスケートの5つの種目だ。中でもスピードスケート男子500mでは、清水選手が銀メダルを受け取る瞬間を見ることができたのは幸運だった。長野五輪の感動が再びよみがえった感じがした。
表彰式が終わると、有名アーティストによるコンサートが始まる。今日はメルシー・グレイ。彼女の曲は、オーストラリアにいた時よく聴いていたので、アメリカに来て実際に聴けるなんて思ってもいなかった。ソウルフルな歌声と凍えるような寒さの中、みんな自然と体が動いてくる。今のソルトレークシティは、世界中から集まった観客と地元の人たちで、降り積もった雪が解けてしまうくらい熱く盛り上がっている。世界中の視線が今、山に囲まれたこの小さな都市に注がれている。


ソルトレークシティのダウンタウンに設置されているオリンピックメダルプラザ

2月13日 競技5日目

今日は、男子アルペン複合の競技日。複合とは、滑降と回転を同じ日に行い合計タイムを争う競技である。午前に滑降、午後に回転というスケジュールのため、我々ボランティアも一日中業務にあたらなければならない。滑降は従来どおり男子のコースを利用し、回転は女子のコースの一部を利用する。回転競技の場合は、選手が旗門を通過したらすぐにコース整備を始めるため、常にコース脇に待機している必要がある。続々と次の選手が滑り降りてくるため、常にコースの上方に注意していなければならない。たまに選手が転倒してつっこんでくることがあるため気を緩めることができないのだ。我々のチームは、回転コースの整備は担当しなかったが、滑降とはまた違うおもしろさがありそうだ。
業務が終わった後は、チームメイト5人とビールを飲みに行く。アメリカの開拓時代にオープンし、ソルトレーク周辺でも最も古いと言われる「シューティングスター」というバーだ。いかにも西部劇に出てきそうな古びた建物の中に入ると、せまい店内にカウンターや中央にビリヤード台が置かれたテーブル席、壁には熊やトナカイのはく製が飾られていて、とてもいい雰囲気をかもし出している。オリンピック期間中だけあって、地元の人たち以外にもボランティアや選手たちが一杯飲みに訪れている。ユタ州では、宗教上の理由から酒類の販売や提供が規制されているため、バーの数も非常に少ない。スーパーで売っているアルコールも度数が低いものが多いのだ。
ピッチャーでバドワイザーや店のオリジナルビールをみんなで分け合いながら、つかの間の休息を楽しむ。最初は数名しかいなかった店内が、ほろよい気分になる頃には席にも座れないほどたくさんの客でにぎわっていた。この店の長い歴史の中で、これほど多国籍なお客が訪れたのは今回のオリンピックが始めてだろう。ちなみに、スキーブーツを履いたままビールを飲んだ日本人は、おそらく私が最初である。


2月14日 競技6日目

始めてアメリカに来てから2週間。ここでの生活もかなり慣れてきた。早朝からスキーをはいて共に汗水を流すボランティア仲間と、家に帰るとホストファミリーが家族のように暖かく迎えてくれる。
私は、元々英語が得意だったわけではなく、学生の頃も英語の成績がよかったわけではない。長野五輪のボランティアをきっかけに、ラジオの英会話番組などで勉強するようになって、シドニーでの1年半の生活を通じて、実践的な英会話を身につけることができた。今では、英語でジョークを言ったりして、地元の人たちを笑わせることができるまでになった。私自身、自分の英語は発音も文法もメチャクチャだと思うが、それを恥ずかしいと思って引っ込み思案になったりはしない。例えば、日本を訪れたアメリカ人旅行者に、完璧な日本語で道を聞かれたらどうだろう?逆にとまどうはずである。私の場合、「日本のNAGANOから来て、今回が3度目のオリンピック参加です。」と言っただけで、すぐに話しが盛り上がってしまうからラッキーだと思う。だから、海外で生活してみたいと思うのならば、言葉を心配する前に、何か自分の得意な分野や目的を持って望んだほうがうまくいくと思う。環境の中で前向きにがんばっていけば、周りの人たちも理解してくれるし、言葉は後からついてくると思う。とにかく、勇気を出して世界に飛び込んでいくのが大切だ。
何度も貴重な経験を繰り返してせっかく身についてきた英語。私の場合、日本に帰るとほとんど英語を使う機会がなくなってしまうのが残念である。


2月15日 競技7日目

今日は、業務始まって以来初めての休み。競技スケジュールの関係上基本的に休日はないのだが、天候やコースの整備状況によって、ようやく私たちのチームが休みをもらうことができた。初めての休日、今までの疲れがかなり溜まっていたが、一日中寝ていてももったいないということで、チームメイトのTKとジェフとジェフの奥さんの4人で一緒にソルトレークのダウンタウンへ遊びに行く。前回、表彰式を観にオリンピックスクウェアに来たことがあるが、次の日3時起きのためあまりゆっくり見て回ることができなかった。
今回のオリンピックはテロの危険性が高いため、アイススケート会場や表彰式場、スポンサーパビリオンなどの主要施設が集まったシティの中心街は、高い柵によって全て閉鎖され数カ所の入り口では厳重なセキュリティーチェックが行われている。もちろん、競技や表彰式のチケットを持っていない一般の人も自由に入ることができるのだが、ゲート前の長い行列に並ばなければならない。今までの五輪にはない緊張感のある一面ではあるが、一旦オリンピックスクウェアの中に入ってしまえば、たくさんの人たちで賑やかな楽しい雰囲気があふれている。各競技を表現したモニュメントやピンバッチのトレーディングセンター、五輪スポンサーによるパビリオンなど、まるで万博会場のようだ。巨大なテントでオリンピックグッズを販売するオリンピックスーパーストアは、入店するまで1時間待ちという人気である。長野やシドニーでも、ものすごい人たちで溢れていたのを思い出す。そこで見かける人々の笑顔は、今まで私が見てきたオリンピックの時と同じであり、テロに怯えている様子は全く感じられない。このまま、何も起こらずに大会が成功してくれることを祈るばかりである。
オリンピックスクウェアを出た後は、4人で日本食レストランへ。TKは日本育ちだし、ジェフ夫婦もLAに住んでいるので、みんな日本食が大好きなのである。私にとっても、久しぶりの日本食。日本からわざわざコシヒカリを4kg持ってきたというのに、ほとんど料理する時間がなくていつもパンとか冷凍食品とか食べていた。だから、もう水を得た魚のように食べまくる。寿司や揚げだし豆腐、はまちのカマなどよだれが止まらないようなメニューが次々とテーブルへ。しかも、日本のビールやお酒まである。うーん、最高に幸せ。こういう時に、やっぱり自分は日本人なんだなぁって実感する。やっぱり日本が一番。帰国して一番したいことは何かと聞かれたとしたら、もちろんお風呂にゆっくり入りたい。できたら温泉がいいな。


2月16日 競技8日目

男子スーパー大回転の競技日。我々、男子コースクルーも本日で業務が終了する。もう、朝3時過ぎに起きることも、スコップ片手に凍った斜面を滑り降りることも、雪の上で冷たいサンドウィッチをほお張ることもこれで最後となる。
最後の選手が通過した後、コースの撤収作業に移る。安全ネットを雪面から外してロール状に巻いていく。ネットは、コース全長3kmに渡って何列にも張られているので、解体するにもけっこう時間がかかる。それでも、これが最後の作業だと思うと、なんだか名残惜しくなってくる。一旦競技が始まるとあっという間に日程が過ぎていってしまうものだ。これも、よい天候が続いてくれたおかげなのだが、それにしても、少しさびしいものがある。今まで苦労を共にしてきたチームのメンバーたちとも別れることになるからだ。大げさな表現になるかも知れないが、毎日急な斜面の上での過酷な作業の中、ある意味お互いの命を預けてきた部分もあるので、仲間意識というのを非常に強く感じるのだ。
滑降、スーパー大回転というスキーの極限を追求する競技を支えるには、多くの労力が必要だ。私も、今回初めての業務ではあったが、コースを整備するコースクルーの一員として競技の運営に関われたことをとても誇りに思う。選手たちが無事にレースを終え、数々の素晴らしい記録を残していったのも、我々ボランティアのおかげであると言っても過言ではない。そして、競技の終了とともに、我々の役目も幕を閉じるのである。


2月17日 競技9日目

今までの生活リズムが体に染み付いているためか、朝4時には目が覚めてしまう。今日はもう業務はないのだが、最後の種目となる女子スーパー大回転を見届けるため再びスノーベーシン会場へ向かう。この会場では、今まで女子の滑降が強風で順延となった以外、ほとんど雪も降らず順調に日程を消化することができた。これは、長野五輪の白馬会場や昨年のプレ大会の悪天候を考えれば、奇跡的なことといえる。最後の選手がフィニッシュラインを通過した瞬間、アルペン競技6種目の様々なドラマを刻んできたスノーベーシン会場は、その役目を終え、元の姿に戻ろうとしている。我々、ボランティアもそうだ。今までオリンピックというドラマティックな空間の中で仲間とともに懸命にがんばってきたのに、担当する競技が終わった瞬間、まるで魔法を解かれたかのように現実の世界に引き戻されてしまう。そして、閉会式では聖火とともに我々の役目は完全に消えてしまうのだ。
夜からは、スノーベーシン会場の競技運営スタッフの打ち上げパーティが行われた。コースクルー、スリッパー、セクションクルー、ゲートジャッジなど、アルペン競技を支えてきた仲間たちがお互いの働きぶりを称え感謝の気持ちを伝え合う。中には転倒や接触などで怪我をしてしまった人もいるが、大きな事故もなくみんな本当によくがんばったと思う。特に、今まで何年にも渡って大会の準備をしてきた組織委員会のスタッフたちには心から感謝したい。数千というボランティアが効率よく作業を行い、それぞれが潜在的に持っているパワーを引き出すには、彼らの的確な指示やマネージメントが必要不可欠である。
私も、ボランティアとしての役目がとりあえず終わり一安心。これから帰国までの数日間、できるだけソルトレークオリンピックを楽しんでおきたいと思う。


2月18日 競技10日目

 


2月19日 競技11日目

 


2月20日 競技12日目

 


2月21日 競技13日目

 


2月22日 競技14日目

 


2月23日 競技15日目

 


2月24日 ソルトレークオリンピック閉幕

 

 

 

 

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