1900年代最後の月
12月 December
Mon
Tue
Wed
Thu
Fri
Sat
Sun
-
-
-
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
22
24
27
28
-

12月31日

1999年、いや西暦1000年代も今日で本当に最後。
2000年を迎えるにあたって、何かやり残したことはないかといわれると少し考えてしまうが、今はそれ以上に2000年になるが楽しみでならない。 世紀末というと、とかく暗いイメージを考えがちだが、そんなのは、所詮みんなの気持ちの問題ではないだろうか。 コンピュータ2000年問題だってそうだと思う。あまりに過敏になり過ぎたら、逆にそれが原因でパニックなど人災を引き起こすことだってあり得るからだ。
いずれにしても、1900年代はこれでもう終わり。この際、気持ちをすっかり切り変えて、新しいミレニアムをポジティブに受け入れたいものである。


12月30日

サーファーズパラダイスから帰ってきて、シドニーはずっと天気が悪かったので、ブギーボードをする機会がなかったが、今日やっと青空が戻ったので、さっそくシドニーの海で初めて波乗りをすることにした。行ったのは、ボンダイビーチの南側にあるブロンテビーチ。通常でも波が高いとされるビーチだが、それ加えて昨日までの悪天候の影響か波がかなり高く、2mを超える波がチューブ状になって押し寄せていた。実際、途中から前面遊泳禁止になるほどで、その中でもたくさんのサーファーやブギーボーダーが果敢にも波に挑んでいた。私も何とか沖まで出ようと試みたが、ビーチに押し寄せる波が予想以上に強く、押し戻されてしまう。高い波が来たら、ボードごと波の下に潜るのだが、慣れていないためうまくできない。何度も波に巻かれて、もみくちゃにされてどっちが上か下か分からなくなるぐらいだった。結局、波に乗る以前の問題だったが、オーストラリアの海はあなどってはいけないことを悟った。


12月29日

1999年も、もうすぐ終わり。 今年はいろんなことがあった。
やはり、オーストラリアに住み始めたことが、自分にとって一番の出来事だろう。長年住み慣れた日本の地元を離れ、海外に一人で暮らし始めたら、少しはホームシックにかかるかなぁと思っていたが、そんな気持ちはさっぱり。やっぱり滞在期間が限られているからだろうか、それとも目的があるからだろうか? いずれにしても、オーストラリアは気候が良くてとても住みやすい。逆に来年3月に、日本に一時帰国した時が、寒そうでカゼをひかないか心配だ。


12月26日

今日は、クリスマスでもらったプレゼントの封を開けるボクシングデー。子供たちには、うれしい日だ。
あと、毎年開催される「シドニー・ホバート・ヨットレース」がスタートする日だ。シドニーハーバーを午後1時に一斉にスタートし、 タスマニア州のホバートを目指す。
去年は、嵐で最悪のコンディションのため、何艇も帆走不能になり何人か死者が出てしまった。オリンピックを来年に控えている今回は、そんなことのないように祈りたいところだが、天気予報では、史上最短記録が出てもいいぐらいの絶好のウィンドコンディションだそうだ。
日本からの参加艇もがんばって欲しいものだ。


12月25日

真夏のクリスマス。そんな代名詞が似合うオーストラリアのクリスマスだが、いざこの日になってもいまいち実感がない。やはり、日本の冬、特に地元の雪のクリスマスに慣れているせいだろうか。でも、街のいたるところにそびえる大きなクリスマスツリーやイルミネーションなどを見かけると、やっぱりクリスマスなんだって感じる。一生に一度はこんな経験もいいかなって思う。でも、やっぱりクリスマスは冬に限るね。


12月23日

今日、サーファーズ・パラダイスを経ち、短かったクイーンズランド州の旅行も終わり。あっという間だった。 この州では、あとケアンズが残っているが、それはまた次回にとっておくことにする。
とにかく、この5ヶ月間ずっとシドニーにいたので、かなり垢が溜まっていたみたいが、仕事のストレスもすっかり取れたし、ホント楽しかった。やっぱり旅はいいっ!
とりあえず、クリスマスとニューイヤーはシドニーで過ごすが、来年3月には一旦日本に帰らなければいけないので、1月末には、シドニーを出てニュージーランド縦断旅行に行こうかと思っている。世界最高峰のヨットレース、アメリカズカップも2月にオークランドで開催されるので、それも見に行きたい。やりたいことがいっぱいだ!
とにかく、今回の旅行はかなり気分転換になった。


12月21日

バッパーが主催している「土ボタルを見に行くツアー」に参加。
土ボタルは、オーストラリアでも珍しいホタルのように光る発光虫で、サーファーズから1時間ほど車で行ったナチュラル・ブリッジ国立公園で見ることができる。
16時半に出発して、山の方へどんどん向かう。さっきまでビーチの近くだったのに、あっという間に山奥に来てしまい、肌寒くなってしまった。途中の公園でバーベキューを楽しんだ後、国立公園にある滝へと向かう。この滝壷にある洞窟に土ボタルが生息している。辺りももう暗くなったころ洞窟に入ると、天井のいたるところに青白く光る点が見える。夜空の星を眺めているようで、まさにプラネタリウムを見ているようだ。
「これで、19ドルなら安いな・・・」と思いつつ、帰りのバスへ。今日の参加者は、自分を含めてたった4人だったので、まるで貸切ツアーのようだった。もし、好きな子と二人っきりで来ることができたら、ロマンティックな時間が過ごせるだろうなと思った。


12月20日

フレーザー島で朝早く起きる習慣が付いていたので、6時頃には目が覚めてしまう。だから、コーンフレークで朝食を軽くとった後、ボードを持って海に直行! バッパーから歩いて5分のところにビーチがあるので、サーファーにはたまらない環境だ。
ただ、ここ数日のゴールドコーストは風が強いらしく、波がかなり高い。しかも、横向きに潮流が発生していて、ボードに乗っているだけで、どんどん横に流されていってしまう。ビーチのいたるところにライフセーバーがいて海を監視しているのだが、遊泳可能区間を示すフラッグの幅が異様に狭い。それだけ、 危険だということだろうか。
思ったよりサーファーの数も少ないので、最初は沖まで出て練習していたが、 後半からフィンを外して、岸から30mほどの足の付くエリアで練習することにした。命を落としては元も子もないからね。


12月19日

さっそく、街の中心にあるパラダイス・センターというショッピングセンターにあるサーフショップで、ブギーボードを購入。リーシュコードとフィン、ボードカバーのセットで199ドルで売っていたので、迷わず買ってしまった。ついでに日本でやることも考えて、ウェットスーツ(79ドル)も手に入れた。日本で買うことを考えたらずっと安いので、がんばってみました。今まで、仕事で忙しかったので、自分自身へのクリスマスプレゼントといったところかな。
とにかく、これで今日からサーファーの一部仲間入りだ。


12月18日

楽しかったフレーザー島のツアーも終わり、ハービーベイを後にして、再び南下してブリスベンでバスを乗り継ぎ、ゴールドコーストへと向かう。
ゴールドコーストは、砂が黄金色した30kmにおよぶビーチのことを呼ぶ。そのゴールドコーストの中心となる街が、サーファーズ・パラダイスだ。その名の通り、サーフィンに適した波が来るため、サファーが多い。私が、この旅の最後にこの地を選んだのも、波乗り(ブギーボードだが・・・)に挑戦するためだ。


12月17日

ツアー最終日の今日は、島で一番有名な湖の一つであるマッケンジー湖に向かう。車でブッシュの中を1時間ほどかけて向かった島の中腹にこの湖はある。駐車場に車を置いて少し歩くと、今まで見たことのないほど透き通った湖が広がっている。砂の島だけあって、岸はビーチになっているので、まるで波のたたない海にいる感覚。でも、湖の周囲はブッシュで覆われているので、なんとも不思議な景色である。この日は、日差しも強く晴れていたので、もちろんみんなで湖に飛び込み、日光浴もたっぷり楽しんだ。もう、真夏の日差しだ。
マッケンジー湖で今までの疲し、無事に帰りのフェリーにも間に合って、無事に宿に帰ってくることができた。
このフレーザー島2泊3日のキャンピングツアーは、オーストラリアの自然を肌で感じることができてかなりオススメである。


12月16日

テントで寝ているため、早朝6時ごろ明るさで目が覚めてしまった。みんなはまだ寝ているが、せっかくなので一人で歩いてビーチへ向かう。朝早いため、誰もいないし車も走っていないので、プライベートビーチと化していた。波がかなり強くて危ないので、泳がずに散歩することにしたが、日本では考えられないようななんてぜいたくな朝だろうか。
みんなが起きてテントを回収すると、一路フレーザー島の人気スポットであるシャンパン・プールへと向かう。岩場で砕けた細かな波が、まるでシャンパンの泡のようになって、内側のエリアに溜まる。みんな調子に乗って遊んでいたが、満潮のせいか波がかなり高く、岩場の内側まで押し寄せて来るので、波に押されて岩場で足や手を切る人が続出。自分はサンダルを履いていたので助かったが、海はさすがにあなどれないものだ。


12月15日

早朝5時30分に起床。出発の準備をする。
ツアーに必要な最小限の荷物だけ持って、あとは宿で預かってくれるシステムだ。
車と一緒にフェリーに乗りこみ約30分。フレーザー島の西側にある船着場に上陸。探検の始まりだ。イギリス人、オランダ人、日本人3人ずつ合計9人を乗せたランドクルーザーは、永遠とビーチが続く島の東側へと向かう。砂の島といっても、一見、全体がブッシュに覆われていて緑豊かな島である。でも、足元を見ると地面は全て砂である。
島を横断すると、そこは、70マイルビーチと呼ばれるビーチが永遠と続いている。島には、横断する以外道路がほとんどないため、南北の移動には、このビーチを利用ことになる。潮が引いた砂地は、硬く圧縮して自然の自然のアスファルトと化し、走行には最適な状態だ。
途中で車を降りて、散策しながら湖で泳いだり、 ビーチの途中にある60年前に座礁した船の前で写真撮影したり、見所はたくさん。
暗くなる前にキャンプ場に到着し、テントを設営。夜は、ビールを片手にバーベキュー。言葉の壁を超えて盛り上がり、キャンプファイヤーの火が深夜まで消えることはなかった。


12月14日

世界最大の砂の島である、フレーザー島にツアーで参加するには、まず島の対岸にある街、ハービーベイに行くのが一番の方法だ。ブリスベンから再びバスに乗って5時間、北へ約200km行ったところにその街はある。
バス停に迎えに来てくれていたYHAのバンに乗りこみ、ブリスベンですでに予約していたコロニアルバックパッカーズホステルに向かう。広々とした敷地にコテージ型の宿泊施設がいくつもあり、レストランやパブも併設しているので、とても快適に滞在することができそうだ。
チェックインした後は、明日からフレーザー島2泊3日ツアーに参加するメンバーが集まりスタッフから細かい説明を受ける。 ツアーといってもガイドは一切つかず、4WDとキャンプ道具を借りて、後は地図とマニュアルを頼りに、自分たちだけで島を探検することになる。まずは、メンバーで3日分の食料の買い物リストを決めることから始まる。まるで、子供の頃に戻ったような、ワクワクした気持ちで明日を迎えることになった。


12月13日

朝10:30にブリスベンのトランジットセンターに到着。
しかし、青空がお出迎えというわけにはいかず、 雨がパラパラと降るような天気。でも、ムンムンとした蒸し暑さはやはりブリスベンといった感じだ。
トランジットセンター近くのYHAにチェックインしたのち、街中を散策。タウンホールを始め、トレジャリーカジノや教会など、古い建物に出会えるのは、他の都市でもお目にかかれるおなじみの光景。それに加えて、クリスマスが近いということもあり、ツリーやデコレーションが街に彩りを加えている。
友人から聞いていた通り、ブリスベンは1日で見て回れるほど小さな街で、特にすることもないし、明日からこの旅の最大の目的地でもあるフレーザー島へ向かうことになった。


12月12日

今日から、クイーンズランド州へ旅行にでかけることになった。
夕方6時発のマカフィティーズのバスで、ブリスベンへ向けて出発。
3ヶ月間、アメックスで働いていたので、少しお金が貯まったのと、仕事のストレスがかなり溜まっていたので、息抜きも兼ねて行くことにした。バスの中で寝ながら16時間を過ごすというのは、かなりつらいが、それさえ我慢すれば真夏のブリスベンが待っている。ラウンド(大陸一周)までとはいかないが、オーストラリア東海岸を知るにはいいチャンスとなりそうだ。


12月7日

このHPのリンク集にも載せてあるJ/Netのホームページに、シドニーオリンピックボランティアに関する情報を載せたところ、予想以上に反響があって正直驚いた。そのほとんどは、これからボランティアに登録したいのだけど・・・という内容だが、それだけオリンピックボランティアへの関心が高いということが伺える。日本人のボランティア登録者が以外に少ないという気がしていただけに、これから仲間が増えることは、とても心強いことだ。


12月2日

今月の仕事の予定が決まり、結局来週いっぱいでアメックスを去ることになった。ワーキングホリデービザの規定である同一雇用主の元では、3ヶ月間までしか働くことができないという理由からだ。レストランなど小さなお店では、移民局に隠れて3ヶ月以上働かせるということもあるが、やはり大企業となるとそうはいかない。
でも、考えてみれば、ワーキングホリデービザ保持者が大企業で働くというチャンスはめったにあるわけじゃなく、そういう意味ではラッキーだったと言える。仕事の内容はきつかったけど、おかげでお金も少し貯まったし、旅行に行けるだけの余裕はできた。あと3ヶ月ちょっととなったワーキングホリデーの締めくくりは、やっぱり”ホリデー”だろうか?


12月1日

今日から12月。今年、というか西暦1900年代もあと一ヶ月となった。
子供の頃、2000年なんて遠い未来の話と思っていたのに、それがこうした形でオーストラリアで新年を迎えることになるなんて、夢にも思っていなかった。人生って不思議なものである。
オーストラリアでの生活が、その後の自分の人生にどんな影響を与えるのか?今はまだ闇の中だが、少なくとも明らかなのは、今できることをとにかく全力でやっておくことだ。そういう意味でも、1900年代の最後に何か記憶に残ることをしたいものだ。

 

日記一覧へ

ページトップ |  ホーム



Produced by Tadachi olympics@tadachi.com