長野からシドニーに挑戦するまでのオリンピックボランティアの軌跡


 

目次
弟9章 ユニフォームとADカード 06/09/00
第8章 25/08/00
第7章 メインプレスセンターで会場研修 15/08/00
第6章 オリエンテーショントレーニング 06/08/00
第5章 日本人ボランティアはいったい何人? 23/07/00
第4章 組織委員会ってこんなところ 17/07/00
第3章 待ちに待ったボランティア研修 02/07/00
第2章 再びシドニーへ 28/06/00
第1章 まだ何も始まっていなかったオリンピック 01/06/00
序章 長野からシドニーへ 01/06/00
第一部 オリンピックボランティア物語〜NAGANO編〜 12/06/00

 

〜第9章〜 ユニフォームとADカード

 待望の大会ユニフォームと大会関係者の身分証明証となるアクレディテーションカード(ADカード)を受け取る。これで、オリンピックに向けた最終的な準備が整ったことになるが、ここに至るまでには苦労があった。

 すでに組織委員会の本部で手伝いをしていた私だったが、実は正式なボランティアの登録手続きが済んでいなかった。登録するためには、ジョブオファーという業務決定の通知に同封されている同意書にサインをして送り返さなければならなかった。しかし、本来は数ヶ月前に送られて来るべきものが、何らかのトラブルで私の所に届いていなかったのである。登録が完了しない限り、ADカードやユニフォームはおろか、大会中のシフト表ももらえないのだ。

 この書類の存在を知ったのは、今年7月のことだ。ユニフォームやADカードの知らせがいっこうに来ないため不思議に思い、いつも面倒を見てくれているONSのオフィスマネージャー、ジェーンさんに尋ねたのがきっかけだった。
  ジェーンさんによると、業務通知は数ヶ月前に担当部署からすでに発送してあるという。宛先が間違っている可能性もあるため、念のためにコンピュータで確認してもらうと、ちゃんと新しい住所が表示されていた。では、なぜ届かないのだろうか?
  オーストラリアでは、郵便物が途中でどこかに行ってしまい、ちゃんと届かないことがある。この時点で私は、郵送段階で手紙が紛失してしまったのではないかと考えた。仕方なくジェーンさんにお願いして、ボランティア担当から業務通知を再送してもらうように連絡をとってもらった。

 しかし、1週間以上経っても手紙らしきものが全然届かない。ようやく業務通知が送られてきたが、それはパラリンピックのものだった。もちろんパラリンピックのボランティアもやりたかったのでうれしかったが、肝心のオリンピックのものが送られて来ないではないか。

 いったい、どうなっているのだろう?せっかく順調にここまでやって来れたというのに、ADカードが手に入らなければ、一切会場には入れないし、も ちろん仕事に携わることもできない。問題外である。この頃、オーストラリア ののんびりした環境にどっぷり遣っていた私だったが、さすがにこの時ばかりはあせり始めた。

 もう一度、ジェーンさんを訪ね事情を説明すると、今度はプレスオペレーションの責任者にEメールで連絡を取ってみてはどうかと言われた。ボランティア登録に関して彼女は担当外だったため、直接助けることができないというのだ。
 Eメールだと連絡がいつ来るか分からないし、電話も繋がらなかったり留守電になっているケースもある。直接会って話をするのが一番確実な方法だが、向こうも忙しいのだから仕方がない。できる限り丁寧な内容の英文を書いてメールを送ってみる。すると、意外にもすぐに返事が返ってきた。

 責任者の説明では、手紙が届かないのはシステム上の問題とのこと。どういう意味かいまいち理解できなかったが、とにかく即急に登録手続きを取り、ADカードもユニフォームも受け取れるように手配してくれるという。シフト表も担当者に製作するよう伝えてくれることになった。
 やはり、上の立場にいる人にコンタクトが取れると話が早い。今まで苦労してきたことがうそのように一気に全てが解決してしまったようだ。

 こうして後日、シティのRedfern駅のそばにある"Uniform Distribution & Accredited Centre(UDAC)"に、ユニフォームとADカードを受け取りに行くことになった。UDACは、古い列車工場を改造して作られた巨大な建物で、内部はコンピュータがずらりと並ぶ近代的な設備が整っている。

 ADカードは、まず係員の指示に従いデジタルカメラで顔写真を撮影し、専用の台紙にプリントしてラミネート加工すれば5分ほどで出来上がりだ。本当にあっという間に仕上がる。カード製作を担当しているボランティアから「グッドラック!」と声をかけられADカードを首に掛けられると、なんだか戦場へ出かける兵士のような気分になった。

 次に、ユニフォームを試着してサイズを確認し、7色のポロシャツの中から、自分の担当業務を示すブルーの物を受け取る。これ以外に、ズボン、靴下、帽子、ジャケット、ウエストポーチ、水筒などいろいろあり、手さげ袋が一杯になるほどだ。ちなみに、私が所属するオリンピックニュースサービスのスタッフには、これとは別に専用の黒いポロシャツが支給される。各競技会場で取材活動を行うため、他のスタッフと区別する必要があるからだ。

 ADカードとユニフォームを受け取ると、本当にボランティアとして参加するのだという実感が沸いてくる。ボランティアとして記念に残る品物もこの2点だろう。

 気分も高まり家路に着こうとふとADカードに目を向けると、なんと自分の名前が間違って印刷されていることに気づいた。これでは会場に入れない可能性もあるため、ヘルプデスクに相談に行くと、名前を正しいものに直した新しいカードを発行してもらえることになった。

 念の為、ヘルプデスクで私の登録している住所を確認すると、驚いたことに1年以上前に住んでいたことのある西オーストラリアの住所になっていることが判明した。当時は、この住所で登録していたのだが、シドニーに引越した時に、担当課に連絡して住所変更の手続きをしていた。どうやら、ボランティア課とプレスオペレーションが持っている個人情報のデータベースがリンクしていないらしい。そう言えば、担当課からは今まで手紙がちゃんと届いていた。 その反面、ボランティア課から発送されたものは、全て西オーストラリアに送られていたことになる。
 プレスオペレーションの責任者が言っていたシステム上の問題というのはこ の事だったのだ。どおりで、手紙が届かないわけである。

 SOCOGの不手際にはいつも泣かされっぱなしだ。今までこの事実を知らなかっただけに、怒りを通り越してあきれるしかない。ここまでうまくたどり着けたのが不思議なくらいだ。
 ADカードとユニフォームを受けとり、大会には確実に参加できることになったが、どうやら最後の最後まで気が抜けそうにない。その反面、「大丈夫。これからもなんとかなるだろう」と楽観的な考えになってしまうのも、1年半の滞在でオージースタイルが染み付いてしまった証拠なのかも知れない。

 世界が舞台のオリンピック。オーストラリア特有のこのゆったりとした考え方が、どこまで世界に通用するのか不安であり、また楽しみでもある。

〜第10章につづく〜


ユニフォームとADカードの受け渡しが行われるUDAC

〜第8章〜 選手村見学

 シドニー大会の選手村は、オリンピックパークに隣接して建設された新興住宅街の一角を利用して形成されている。今回のように分村を作らず、選手や役員を一つの場所に収容するのは五輪史上初の試みで、7年前の招致合戦でライバルの北京に僅差で勝利したのも、この選手村の構想が決め手になったと言われる。

  選手、役員15000人が寝泊りする選手村は、オリンピック施設の中で最も厳重な警備が敷かれるため、運営スタッフ以外は一切立ち入ることができない。今回、ファミリーデーということで、特別に1日一般公開されたため、日本人のボランティア仲間4人と一緒に見学に訪れてみた。  

 選手村は、ホームブッシュベイにあるオリンピックパークの目と鼻の先にあり、歩いても十分通える距離に位置している。メインスタジアムの歓声が聞こえてきてもおかしくないぐらいだ。
 周囲を高い鉄柵で囲まれた広大なエリアは、マンション、戸建て、仮設住宅など真新しい建物が立ち並び、まるで巨大な住宅展示場のようである。外見は普通の建物に見えるが、太陽光発電や雨水をリサイクルして使用するなど環境に優しい作りとなっている。シドニーオリンピックでは、環境保護団体グリーンピースの意見を開発段階から積極的に取り入れて環境対策に努めてきた。シドニー大会が「グリーンオリンピック」と呼ばれる理由の一つである。

 建物の内部は、ベットルーム、キッチン、リビング、バスルームなど、全てが真新しい以外、特に変化はない。各部屋にはベットが2つずつ並び、 "Sydney 2000"の大会ロゴが入った布団が備え付けられている。この布団は、使用後に持ち帰ることができる選手へのおみやげだ。
 通常であれば一人用の寝室にベットが2つずつ並んでいるため、かなり窮屈に感じる。各建物には同じ国籍の選手が泊まるわけだが、基本的に全て相部屋のため、プライバシーはあまり守られそうにない。また、マンションのようなりっぱな建物から、仮設で作られたプレハブ小屋まで、大きさや設備に差があるため、各国の選手がそれぞれどの施設に泊まるのか気になるところだ。
 一部の選手たちは、選手村の施設を利用せず、独自にホテルを確保して宿泊するというのもなんだかうなずける。ただその場合、宿泊費用から移動手段まで、全てを自分たちで準備しなければならない。選手村は全てが無料なのである。  

  選手村には、宿泊施設だけではなく、それに伴ったサービス施設がいろいろある。その筆頭が大食堂だ。  

 選手や役員たちが食事をするメインダイニングは、一度に4900人を収容できるほど巨大な施設で、ハンバーガーから和食まで各国の様々な料理が無料で楽 しむことができる。ホットフード、サラダ、デザートなどジャンルごとに提供され、トレイの中から選ぶことも自分で好きなものを注文することもできる。あまりに広いため目的の料理を見つけるまでに迷子になってしまいそうだ。
 ここでは、一日に約48000食を提供する予定で、9月2日の開村以降、たくさんの選手や役員たちで賑わうことになる。ちなみに、この食堂が最も忙しくなるのは、開会式が行われる9月15日前後と予想されている。

 お腹がいっぱいになった選手たちは、次にどうするのか? トレーニング、それともリラックスだろうか?

 世界の頂点を争う選手たちは、大会期間中であってもトレーニングが欠かせない。選手村には、ダンベルからバイクマシンまで、あらゆる設備がそろったトレーニングジムがあり、各国の選手がここで汗を流すことになる。設備は最高なのだが、機材同士の間隔が極端に狭いため、となりとぶつかってしまいそうで、果たしてトレーニングに集中することができるのか心配である。

 また、世界の舞台に立つという緊張感をほぐすにはリラックスも必要になる。 選手村には、いくつかの娯楽施設が備わっている。

 まず、ダンスクラブ。クラブというよりダンスホールといった感じだが、DJによるダンスミュージック以外に、バンドの生演奏やカラオケも楽しめるようになっている。どんな選手が、ここに来て日頃のプレッシャーを吹き飛ばすのか、それとも優勝した日に踊りまくるのか想像するだけでもおもしろい。

 インターネットが利用できる施設も登場。IBM社製のコンピュータを使って、ここから自国の家族や友人にEメールを送ったり、自分のホームページを更新したりすることができる。ここ数年、独自にサイトを立ち上げて自分をアピールする選手が増えてきた。大会中、通常のメディアとは別に、選手本人からの熱いメッセージがここから世界中に発信されることになるかも知れない。

 それ以外にも、マッサージルームやゲームセンター、読書室、各宗教の礼拝室まで、選手のどんなリクエストにも可能な限り対応できるような設備が揃っている。  
  結局、一通りの施設を歩いて見学したのだが、あまりに広すぎて最後にはみんな疲れてしまった。

 オリンピック選手たちは、ここで寝起きし、おいしい料理を食べ、トレーニングに励み、時にはリラックスする。いざ出陣となれば、どの競技会場へも、大抵30分でアクセスすることができる。これ以上の環境はないだろう。次 に素晴らしい記録が生まれることを期待せずにはいられない。

 「アスリートのためのオリンピック」を掲げて建設された選手村、私にはあまりに居心地が良過ぎて、肝心の競技を忘れてしまいそうである。

〜第9章につづく〜


オリンピックパークに隣接している選手村のエントランス

〜第7章〜 メインプレスセンターで会場研修

 MPCの会場研修とONSの専門研修が、オリンピックパークにあるメインプレスセンターで行われた。オリンピックパークを訪れるのは、実に5ヶ月ぶ りとなる。

 初めて足を踏み入れるMPCは、8つの大きな倉庫が密集してできた施設で、想像していた以上に巨大な空間をかもし出している。しかし、内部はまだ立ち上げ段階であり、この日は日曜日だったこともあり、けっこう閑散としていた。

 朝10時から始まった会場研修には、MPCで働くことになる各セクションのボランティアが300名ほど集まった。スクリーンに映し出される映像を見 ながらMPCの機能や役割、我々のクライアントとなる記者やカメラマンたちの仕事の様子など、MPCの運営に必要な基礎知識を学んだ。MPCの会場責任者のあいさつもジョークを交えながら(ほとんど意味が分からなかったが)ざっくばらんに進められ、研修会場は終始和やかな雰囲気だった。

 プレゼンテーションの後は、各業務ごとに分かれてMPC内を見学するツアーが行われ、各エリアごとに担当者が施設の説明をしてくれた。記者の人たちが共同で使用するワーキングルームや、各新聞社専用のブース、各国オリンピッ ク委員会のオフィスなど、MPCには様々な施設が点在し、それに伴いレストランやカフェなど支援設備が整っており、MPC全体が一つのコミュニティーを形成している。
  もし1人で歩いたら、絶対に迷子になってしまいそうなくらい本当に広いので、慣れるまでは地図が必要だ。この広大なMPCが、約1ヶ月間、ボランティアとして奮闘することになる私の競技場となるのだ。

 午後からは、今回で3度目であり、これが最後となるONS専門研修が行われた。実際に働くことになるMPCはまだ閑散としているが、プリンタやコンピュータなど一部の設備はすでに整っていて、大会期間中、ここがオリンピック報道の中枢となることを想像すると、鳥肌が立ってくる。

  この日集まったのは、期間中、共にに働くことになるONSアシスタントのボランティアたち約30名。顔ぶれを見るとほとんど若い人たちだが、初めて職場を目の前にして、みんな期待と興奮に胸を躍らせているようだ。 まず、簡単な自己紹介から始まって、小さなグループに分かれて簡単なゲームに挑戦しながら、お互いのチームワークを高めていく。

 今回の研修の目玉は、ONSアシスタントとして、実際の業務の流れをつか むために、IBMのボランティアスタッフと共にシュミレーションを行ったことだ。実際にプリンタから出力されたリザルト(競技結果等)を、IBMチームから受け取り、ピジョンホール(仕分け箱)に挿入して報道関係者に提供するまでの流れを練習する。
  リザルトはもちろん英語で書かれているのだが、長野の時とほとんど同じな ので理解はしやすい。しかし、ここには全ての競技の情報が大量に流れてくるため、それを正確に判別する能力が必要になってくる。迅速性プラス正確性が要求されるわけだ。大会中はかなり忙しくなるに違いない。

  この日を最後に、ボランティアとしての私の研修過程が全て終了した。あとは、自分自身で復習することで、大会までに知識を高めていくことになる。

 今まで受けた5回の研修を通じて痛感したことは、自分の英語力の無さである。
  研修中、スタッフが何か説明している時、相手は普通に話しているつもりでも、私にとっては早すぎて聞き取れない部分が結構ある。話の内容はだいたい分かっても、正確な意味合いがつかめないことが多い。全員に説明している最中に話を遮るわけにいかないので、完全に理解しないまま、話がどんどん先に進んでいってしまう。結局、後で個人的に聞くか、隣の人に教えてもらうしかない。

 幸いなことに、私は長野オリンピックで似たような業務を経験しているので、 MPCの役割や作業の流れは理解しやすい。しかしながら、何か急に質問や頼み事をされたときに、一度聞いただけでは分からず戸惑ってしまうことがよくある。ましてや、相手が報道関係者となれば、正確性プラス迅速性が要求されるだろう。

 今から英語力をアップするのは限界がある。それを補うには、やはり早い段階から現場に入ることで、業務の流れや雰囲気を体で覚えていくしかないだろう。あとは、上司となるスーパーバイザーや同じ業務のボランティアたちとできる限り仲良くなることで、困ったときは助けてもらうしかない。とにかく、 英語でのコミュニケーションをどれだけうまく取れるかが業務遂行のカギとなる。

 研修の最後に、スーパーバイザーから勤務当番表を受け取った。MPCが24時間オープンする前日の9月1日から私の仕事が始まる。もう、あとわずかだ。期待がどんどん膨らんでいく反面、責任の重さをひしひしと感じている。

〜第8章につづく〜


メインプレスセンターでのONSアシスタント業務の研修風景

〜第6章〜 オリエンテーショントレーニング

 ボランティア研修の一つであるオリエンテーショントレーニングが、柔道やボクシング会場となるダーリングハーバーのコンベンションセンターで行われた。

 このトレーニングは、オリンピック全般や開催地シドニー、ボランティアの役割など基本的なことを学ぶ一般研修にあたり、ボランティアに登録している人全員が受けることになっている。 私の場合、担当業務であるONSの専門研修をすでに受けているため、順序が逆になってしまった形だが、本来は一番最初に行われるべき研修である。

 会場となったコンベンションセンターは、いくつもの巨大な会議場が並び、さながらコンサートホールのようである。入り口でA4サイズの分厚いボランティ アハンドブックを受け取り中に入ると、会場はすでにたくさんのボランティアたちで賑わっていた。これほど多くのボランティアを見るのは初めてのことで、あらためてシドニー大会の規模の大きさを感じる。

 正面のステージ上にある巨大なスクリーンにオリンピックの映像が次々と映し出され、オリエンテーションがスタートした。SOCOGのボランティアトレーナーである司会者の進行に合わせ、音と映像で我々参加者の気持ちをどんどん引き込んでいく。また、となりでは手話による同時通訳も行われ、耳の不自由なボランティアにも十分配慮された運営となっている。

 内容は、シドニーオリンピックの概要から始まり、ボランティアの心構えや一日の流れ、シドニーの観光名所など運営スタッフに必要な基礎的な知識が学べるようになっており、途中、SOCOGのボランティア担当者や元オリンピック選手などによるプレゼンテーションが行われ、映像とスピーチを組み合わせながらとても分かりやすい構成となっていた。
  映像の中で、ボランティア課のマネージャーが「長野冬季オリンピックでのボランティアの活躍は素晴らしかった。 我々も彼らと同じような感動をシドニー大会で味わうことになるだろう。」と 語ってくれて、「一人ここにいるよー!」なんて心の中で叫んでしまった。

  また、プレゼンテーションの中で、参加者全員に質問する場面があった。 本人がオーストラリア国外で生まれた人、両親が外国出身、祖父母が外国出身の人と順番に立ち上がっていくと、参加者のほとんどが当てはまってしまっ た。それだけ、このオーストラリアが、多種多様な民族と文化で成り立っているということを証明する結果となった。

  それ以外にも、ボランティアユニフォームの紹介やテーマソングの披露など参加者をあきさせない工夫がしてあって、まるで一種のショーを見ているような感じだった。さすが、オーストラリア最大の教育機関であるTAFEが公式サプライヤーとしてトレーニングセッションを運営しているだけのことはある。 トレーニングを受けていくうちに、実際に自分がオリンピックで働いている姿をイメージすることができて、だんだん胸が高鳴っていくのを感じることができた。

  予定の2時間があっという間に過ぎ、帰り際に研修ビデオを受け取って、この日のオリエンテーショントレーニングは終了した。これと同じ研修が、シドニーで数回、また、各主要都市でも行われることになっている。

  数ヶ月前までは、いっこうにボランティア研修が始まらないため、いったいど うなっているのか不安で仕方なかったが、今までのトレーニングを受けた限りでは、とても工夫が施されていて完成度が高く、ボランティアのやる気を起こさせるものだった。
 メインプレスセンターで行われる3つ目のトレーニングとなる会場研修が今から楽しみである。

〜第7章につづく〜


コンベンションセンターで行われたオリエンテーショントレーニング

〜第5章〜 日本人ボランティアはいったい何人?

 近年、巨大化したオリンピックの運営を支えるには、ボランティアスタッフの存在が欠かせない。シドニー大会ではオリンピックで約47000人、パラリンピックと合わせると約60000人のボランティアが必要だといわれている。大会運営に関わるスタッフのほとんどがボランティアであるといっても過言ではない。しかし、果たしてその中に日本人は何人いるのだろうか? そんな疑問が沸いてくる。

 私の計画の一つに、日本人ボランティア登録者を集めて自主活動グループを作る というのがある。メンバー同士の交流や情報交換を図ることで、それぞれの業務に役立てもらおうというのが目的だ。長野オリンピックの時も、こうした自主活動グループが地元だけでなく、東京や神奈川など各地域ごとに発足し交流会を開いていた。ボランティア同士の情報交換だけでなく、組織委員会の研修では得られないことを自主的に学ぶ、ボランティアによるボランティアのためのグループである。

  オリンピックのボランティア業務は、肉体的、精神的にストレスをかかえることが多い。業務内容によって大小はあれ、かなり大変な仕事なのである。肉体的な疲労は休息をとれば治るが、精神的な苦痛はそのままにしておくと大きなトラブルに発展する可能性がある。だから、そういったボランティア活動によって生じる不満や相談事をできるだけ解消することが必要となってくる。
  組織委員会では、通常業務が忙し過ぎて、ボランティア一人ひとりのカウンセリングまでは手が回らないだろう。そこで、この自主活動グループがメンバーのケアに当たることになる。たとえ、根本的な問題の解決はできなくても、誰かに話すことで気分的に楽になるし、お互い励まし合うことは可能だ。特に海外での参加となれば、環境の違いやコミュニケーション不足などからくるストレスが増えるに違いない。その場合、日本人同士でないと相談できないこともあるので、このグループの重要性が増してくるわけである。

 しかし、 自分以外の日本人ボランティアを探すといっても、組織委員会から個人情報を教えてもらうことは難しい。そこで、シドニーの日本語新聞を通じて登録者に呼びかけることにした。昨年も、同じようにボランティア登録者を 探す広告を載せたのだが、結局2名しか現れず、グループ結成までには至らなかった。当時は、まだほとんどの人が面接も受けていない状況だったので仕方ない が、今なら担当会場や業務がほぼ確定しているはずだ。あとは、この広告を見た登録者からどれくらい連絡が来るかである。

 そんな中、一人の日本人ボランティアと出会う機会があった。元女子バレーボールオリンピック選手のきゅうさんである。過去2回、バルセロナとアトランタオリンピックに出場した経験があり、引退後、今度はボランティアスタッフとしてシドニー大会の運営に参加するという。もちろん、彼女が担当するのはバレーボール会場である。過去2回のオリンピック選手としての貴重な経験は、彼女自身だけでなく、私をはじめ他のボランティアたちの活動にも必ず役立つはずだ。アスリートの気持ちを誰よりも理解しているからである。彼女の意見をグループのメンバーにフィードバックすることで、特に選手に接する機会が多いボランティアの参考となるだろう。さっそく、彼女にもボランティアグループの一員として参加してもらうことになった。

  このような縁もあって、少しずつではあるがメンバーが集まりつつある。それぞれの都合もあるため、実際にどのような活動ができるかまだ定かでないが、少なくともお互いに連絡を取り合い情報交換するだけでも価値はあるだろう。
  このグループを通じて、ボランティアの輪がどんどん広がっていけば最高だと思 う。いろんな方面の人たちと出会えることが、オリンピックボランティアの魅力の一つでもあるからだ。

〜第6章につづく〜


公式スポンサーのお店もオリンピック仕様にリニューアル

〜第4章〜 組織委員会ってこんなところ

 専門研修を受けて以来、毎週2回ほどシドニーオリンピック組織委員会(SOCOG)に行き、オリンピックニュースサービス(ONS)の手伝いをするのが日課となっている。

 SOCOGの本部は一つのビルがそっくりオフィスとなっていて、IDカードがないと受付から中に入ることができないようになっている。中に入った後 も、各セクションを仕切るドアに電子ロックがかかっているため、誰かのエスコートがない限り自由に出入りすることができない。それくらい厳重な警備が敷かれており、このSOCOGがいかに重要な施設かが想像できる。

 これとは対照的に、私が所属しているONSのスタッフルームは、和気藹々としたオープンな雰囲気だ。その理由は、ボランティアを含めたスタッフの多 くが若いというのに加えて、中心となっているSOCOG職員がとてもフレン ドリーで、我々ボランティアの面倒をよく見てくれるからだろう。オリンピックの公式情報を制作しメディアに提供するという重要なセクションだからこそ、 ストレスの溜まりにくい明るい雰囲気作りを心がけているのかも知れない。

 このONSの担当業務の一つに、「バイオデータリサーチプロジェクト」というのがある。これは、オリンピックに参加する約10300人のアスリート全員のデータを調べ、INFOシステム(第三章参照)に入力するというものだ。このプ ロジェクトには、職員以外に多くのボランティアが関わっており、INFO端末が置いてあるスタッフルームはいつも満席状態である。  

 私も大会が始まるまでの間、この作業を手伝うことになった。担当するのは、日本人選手のデータをインターネットで調べて、コンピュータに入力するという仕事だ。データと言っても、プロフィールから始まり、過去の成績や競技を始めたきっかけ、記憶に残っている大会など、細かいところまでリストアップ されているため、そう簡単に探し出すことはできない。
 こうしたデータ収集には、各国オリンピック委員会(NOC)に用紙を送り アスリート本人に記入してもらうほか、雑誌や新聞、インターネットなどメディアから探す方法を取っている。オリンピック開催までに選手に関するあらゆる情報を収集し、世界中から来る報道関係者の記事制作に役立ててもらおうというのが目的である。

 それにしても、約10300人のアスリート全員のバイオグラフィーを集めてコ ンピュータに入力するというのは、気が遠くなるような作業である。日本人選手だけでもかなりの情報量だ。しかもこの作業は、大会が始まるまでにほとんど終わらせなければならない。期間中は、実際の競技の記事制作が中心となるからだ。
 こうした膨大な情報を扱うには、多くの人手が必要となるわけで、したがっ て我々ボランティアスタッフの存在が欠かせない。こうした一部の業務では、 すでに多くのボランティアが活動を開始しているのである。

〜第5章につづく〜


シドニーオリンピック組織委員会(SOCOG)のオフィスはこんな感じ

 

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